【特集】坊主の時代は終わり?高校野球と頭髪──“坊主”の伝統はなぜ変わったのか

長年、高校野球といえば「丸刈り」のイメージが定着していた。しかし令和の時代に入り、その“当たり前”が見直されつつある。頭髪をめぐる意識の変化は、単なる髪型の話にとどまらず、高校野球の価値観の転換を象徴する動きでもある。


目次

「坊主=高校球児」の原点

昭和から平成初期にかけて、「坊主頭」は高校野球の伝統とされてきた。

  • 清潔感、規律、謙虚さの象徴
  • 暑い夏場でも衛生的
  • 髪型を気にせず練習や試合に集中できる

多くの学校では事実上の“強制”として定着しており、入部と同時にバリカンで刈ることが“儀式”のように行われていた。

昭和時代(〜1989年)

◾️坊主頭が「当たり前」
野球部員=坊主頭というイメージが定着。
特に1970年代以降、「野球は礼儀・根性のスポーツ」という価値観が強まり、坊主=規律・団結・覚悟の象徴とされた。

◾️校則・指導の一環として
学校側や監督の方針で全員坊主強制のケースが多数。
私立強豪校では「坊主が嫌なら来なくていい」とまで言われる例も。


平成後期からの揺らぎと議論

◾️1990年代〜2000年代前半:坊主文化の継続
・多くの高校で坊主が続く。
・強豪校では「勝つには覚悟が必要」として存続。
・ただし徐々に「強制ではなく自主的に坊主にする」学校も出始める。

◾️2000年代後半〜:意識の変化が始まる
・一部の公立高校などで「坊主をやめた」野球部が登場。
・SNSやメディアを通じて、「坊主じゃなくても強くなれる」という認識が広がる。
・生徒や保護者の声から、「髪型は自由でいいのでは?」という風潮が強まる。
・2000年代以降、「坊主が強制されるのはおかしい」という声が次第に表に出始めた。

・一部の強豪校が“坊主不要”を打ち出す(例:横浜、花巻東など)。
・SNSの普及により、理不尽な指導が可視化される。
・高校生らしい自己表現を尊重する時代の流れ。

保護者や一般社会からも「髪型で野球の技術や人間性は変わらない」とする意見が増え、徐々に自由化が進んでいった。

令和時代──坊主は“自由選択”の象徴に

現在、全国の高校野球部では以下のような多様なスタイルが見られるようになった。

・校則に準じて短髪を保つが、坊主は任意
・自主的に坊主にする選手もいれば、自然体のまま挑む選手も
・学校側が「強制はしない」と明言するケースが増加


2022年には日本高野連も「髪型の指導は各校の判断に委ねる」と表明し、時代に合わせた指導が求められることを明確にした。

◾️髪型の自由化が加速
2020年以降、「坊主廃止」を宣言する高校が急増。
例:花巻東、駒大苫小牧、國學院久我山などの有名校も坊主を任意化。
「時代に合った指導を」との考えから、監督自身が髪型自由を打ち出すケースが目立つ。

「坊主は強さの象徴ではない」「見た目ではなく中身で勝負」という時代へ。

頭髪の自由化がもたらしたもの

⚾️部活動離れへの歯止め効果:「髪を切らないと野球部に入れない」壁を取り払う
⚾️多様性の尊重:個性や背景を認め合うチームづくりへ
⚾️見た目より中身への評価軸の変化

いまや「坊主であること」自体が否定されているのではなく、「坊主でなければならない」という前提への再考が進んでいる。

◾️現在の傾向
坊主にする選手も依然として存在(自主的に)。
「選択制」「個性の尊重」が主流に。
一方で、校風として坊主を続けている強豪校(例:仙台育英、智弁和歌山など)もあり、完全に消滅はしていない。

まとめ

かつては“戦う姿勢”の象徴だった坊主頭は、令和の今、選手自身が「どうありたいか」を選ぶ象徴に変わりつつある。高校野球の現場では、頭髪を通じて、“本当に大切なことは何か”を問い直す時代が始まっている。

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