プロ経験指導者が挑んだ“ゼロからのモデルケース”
全国高校野球連盟と日本野球機構(NPB)がコラボレーションし、全国初となる「プロ野球の野球振興部出身指導者のみで行う未就学児対象野球教室」が、2026年1月29日、埼玉県幸手市の幸手ひまわり幼稚園で開催された。対象は年少から年長までの園児たちだ。
指導を担当したのは、開智未来高校野球部監督の伊東悠太(いとうゆうた)さんとコーチの西田樹(にしだたつき)さんの2名。
いずれも読売ジャイアンツの野球振興部出身という経歴を持つ。
近年、野球人口の減少が続く中、「小学生以上への指導はあっても、未就学児へのアプローチはほとんどない。現場も手探り状態。だからこそ、今回の取り組みが今後のモデルケースになれば」という思いから、今回の企画は実現した。
節分の鬼と筑波山。遊びの中で身につく“投げる力”
教室で行われたメニューは極めてシンプルだ。テーマは一貫して「投げる」。
2箇所に分かれて行われたのは的当てゲームと玉入れゲーム。
⚾️的当てゲーム(伊東氏にて指導)

使用したのは大きめのスポンジボール。(ソフトボールサイズ)

節分が近いこともあり、鬼の絵を的にして、そこに向かってボールを投げる。遠くに投げることを意識しながら、園児たちは次々と腕を振った。
伊東氏は園児達にわかりやすい言葉を用いて、トップの位置、腕の振りが自然と身につくよう指導していた。

⚾️玉入れ形式のゲーム(西田氏にて指導)
使用したのは硬式テニスボール。

園児たちが以前、遠足で筑波山に登った経験にちなんで、カゴを「筑波山」に見立て、チーム対抗でどちらが多くボールを入れられるかを競う。こちらは高く投げる動作を意識したメニューだ。
伊東氏はこうした内容について、「子どもに教えるのに特別な道具は必要ない。身の回りにあるものなら何でもいい。新聞紙を丸めたボールでも十分」と話す。
実際、近年は公園でのボール使用が制限されるケースも多く、未就学児にとってボールは時に“凶器”と見なされてしまう存在だ。保育現場では安全面への配慮から、ボール遊び自体が減少しているという。
約30年前、新聞で「子どもの投げる力の低下」を危惧する記事が掲載されたことがあった。かつては河原で石を投げたり、自然の中で遊ぶ中で自然と身についた動作も、時代とともに失われつつある。
その現実を踏まえ、今回は技術指導ではなく、「まずは投げること自体を楽しむ」ことに重点が置かれた。
「もっとやりたい」園児たちが示した可能性
教室が始まると、園児たちは驚くほど積極的だった。怖がる園児はほとんどいなく、全員が笑顔でボールを投げ続けた。
「もっとやりたい」「もうおしまい?」という声も自然と聞こえてくる。教室終了後、その日の午後のお絵描きの時間には、園児のほぼ全員が野球の絵を描いていたという。
伊東氏はその様子を振り返り、「将来的に野球をやってくれたら嬉しいが、今日は最後に“楽しかった”が残ればそれで十分だった」と語る。
野球は「敷地が必要」「お金がかかる」「ルールが複雑」など、普及が難しい要素を多く抱えるスポーツだ。その中で、まずは体を動かす楽しさ、投げる面白さを知ってもらうことが、入口として何より重要だという。

投げる動作はすべてのスポーツの基礎
今回の教室では、あえて「上に投げる」「遠くに投げる」メニューが選ばれた。伊東氏はその理由をこう説明する。
「小さい頃から肘の使い方を身につけてほしい。投げ方に変な癖がつくと、将来故障のリスクが高くなる。投げる動作は野球だけでなく、ほぼすべてのスポーツにつながる基本動作だ」
幸手ひまわり幼稚園の園児たちは、自然の中で遊ぶ時間が多く、身体能力が高いことも印象的だった。投げるマネをすると、ほとんどの園児が自然とトップの位置を作り、投球フォームらしくなっていた。
「ゲーム感覚でやることで、楽しさを体験してくれた。何より楽しんでくれたことが嬉しい。」と伊東氏は手応えを口にした。
また、野球離れが進む中で伊東氏は「各学校にはそれぞれ役割がある」と話す。
甲子園を目指し日本の野球界を背負う選手を育てる学校。
チーム力で甲子園出場を果たし希望や感動を与える学校。
そして、野球普及のためにできることをやる学校。今回の取り組みは、まさにその「普及」の最前線だ。
野球先進国・日本が中心となり、次世代へどうバトンを渡していくか。その問いに対する一つの答えが、園庭でボールを投げる小さな手の中に確かに芽生えていた。

自然と遊びの中で育つ、「幸手ひまわり幼稚園」とは
幸手ひまわり幼稚園は、「自然の中でたくさん遊ぶ」ことを教育の軸に据える幼稚園だ。園の方針は明確で、文字の読み書きなどの早期教育は行わず、あくまで遊びを中心に子どもたちの成長を見守る。
園児たちは日常的に雑巾掛けを行い、雑巾も自分たちで縫い、ボロボロになるまで使い続ける。道具を大切に扱うことも、生活の中で自然と学んでいく。
また、体幹を鍛えるために坂を登ったり、裸足で園庭を駆け回ったり、縁側では手押し車をして遊ぶ。園内で飼育しているヤギの世話も園児たちの仕事の一つだ。さらに、お米や野菜を自分たちで育て、収穫する経験も取り入れている。
「遊びの中で生きる力を育てる」。その理念のもと、自然と触れ合いながら体を動かす日常が、今回の野球教室でも生きていた。投げることを楽しみ、夢中になれる土台は、すでにこの園の日常の中にしっかりと根付いている。

【取材後記】「技術」よりも先に必要なもの
野球教室の園庭に並んだのは、バットでもグラブでもなく、柔らかいボール、ボールを入れるカゴ、そして節分の鬼の絵だった。そこに集まった園児たちは、「野球を教わる」というよりも、ただ夢中で遊び、笑い、走り回っていた。
その姿を見て野球復興に必要なのは最新の理論や高度な技術ではなく、「投げるって楽しい」という原点やきっかけを与えることだと感じた。
伊東氏と西田氏の指導も終始シンプルで、「こう投げなさい」と形を押し付けることは一切なかった。園児達に投げ方のマネをさせ、声をかけ、一緒に喜ぶ。その積み重ねの中で、園児たちは自然と腕を振り、肘を使い、投球フォームを身につけていた。
取材を通じ、「今日の体験が、将来の野球人口にどうつながるか」ではなく、「今日の楽しさが、その子の人生にどう残るか」の方が大切なのかもしれないと感じた。
野球を始めていない園児達が園庭で、ただ楽しくボールを投げ、楽しいと思ってくれた時間こそが、一番の野球普及活動となったはずだ。
幸手ひまわり幼稚園の園児達にとって、野球が「競技」になる前に、「遊び」として根付くこと。その第一歩に立ち会えたことが嬉しい。

