声が響くグラウンド上尾高校の野球
春の柔らかな日差しの下、グラウンドには選手たちの声が響いていた。
仲間が好プレーを見せれば、すぐに「ナイスプレー!」という声が飛ぶ。
誰かが失敗すれば、すぐに次の声がかかる。
その光景は、特別なものではない。
だが、その声の多さと自然さが、上尾高校野球部の空気を物語っていた。
埼玉県立上尾高校野球部には、時代が変わっても大切にしている価値観がある。
それは「人のことを考えられる選手になること」。
今回はそのチームを支えている、片野 飛鳥部長(43)に話を伺った。
片野部長は上尾高校野球部出身で、現役時代は主将としてチームを牽引。大学は日本体育大学でプレーした。
卒業後は埼玉県内複数の高校で指導経験を積み、母校である上尾高校に赴任して11年目を迎える。
多くの高校野球の現場を見てきた指導者が、母校で大切にしているのが「チームの一体感」だ。
「良いプレーが出たら自然と『ナイスプレー』と声が出る。誰かが活躍したら皆が喜ぶ。そうやってチームが一体になれるのが上尾高校の野球。我関せずの選手がいないチームを目指している」
泥臭く、声を出し続け、全力でプレーする。
その姿は一見すると昭和や平成の野球のようにも見えるかもしれない。しかしそれは単なる精神論ではなく「仲間を思いやり、全員でチームとして戦う」その姿勢こそが、上尾高校野球部の根底にある。
現在の部員数は、新3年生23名、新2年生21名、マネージャー1名の計45名。決して大所帯ではないが、選手一人ひとりがチームのために声を掛け合いながら日々の練習に取り組んでいる。
技術より大切にする「良い生徒」であること
上尾高校野球部の指導方針は、単なる野球技術の向上にとどまらない。
片野部長が繰り返し口にしていたのが「人としての成長」だ。
「皆から好かれ、頼られ、信頼される人間になることが大切」
高校野球は勝敗が注目される競技である。しかし上尾高校では、それ以上に大切にしているものがある。
それは、社会に出て通用する人間になることだ。
現代は、指導者にとっても球児達にとっても難しい時代でもある。
言葉の選び方一つでハラスメントと受け取られる可能性がある一方、何も言わなければ無関心とも受け取られてしまう。
そうした時代だからこそ、片野部長は選手たちに「謙虚さ」を求める。
「野球部だからといって偉そうにしてはいけない。周りの人に支えられて野球ができていることを忘れてはいけない」
野球が上手いだけではなく、人として信頼される存在になること。
それこそが、上尾高校野球部が目指す選手像である。

守備にこだわる理由
上尾高校野球部の練習で特に重視されているのが守備だ。
守備技術の向上はもちろんだが、それ以上に大切にしているのが「心構え」である。その象徴が試合前のシートノックだ。
シートノックは単なるウォーミングアップではなく、チームの空気を整え、試合に向けて集中力を高める重要な時間でもある。
公立高校の試合では珍しいことに、上尾高校の試合が行われる日は、地元の上尾市民球場が満員が満員になることも珍しくないという。
しかし上尾高校の試合には、OBや関係者だけでなく、高校野球ファンや進学を考える中学生、その保護者など、多くの人が足を運ぶ。
「それだけ多くの人に見られているということ。だからこそ、野球だけでなく私生活も含めて恥ずかしくない行動をしてほしい」
グラウンドの外でも、上尾高校野球部の一員であることを自覚し生活する。
その意識が、選手たちの日常の成長を支えている。
「自分たちは強くない」から始まった世代
現在のチームの強みについて尋ねると、片野部長は少し意外な言葉を口にした。
「新3年生の選手たちは、自分たちに力がないことを理解している」
この自覚こそが彼らを成長させた。
「自分たちは強くないと分かっていたからこそ、コツコツ努力を積み重ねてきた」
その努力が評価された出来事がある。
第98回選抜高校野球大会の21世紀枠を選出するにあたり、関東での推薦枠に選ばれたことだ。
21世紀枠は、戦績だけでなく学校環境や地域への貢献などが評価される特別な制度である。
「甲子園で恥ずかしくない試合をしなければならない。そう思ったことで、選手たちの取り組みが変わった。同じ練習でも内容の濃さがまるで違った」
関東推薦枠に選ばれたという経験は、選手たちに大きな自信と責任を与えた。

全員で戦うチーム
上尾高校野球部が特に大切にしているのが、メンバー外の選手の存在だ。
「試合に出ていない選手こそ大切にしている。一人ひとりと対話することを心掛けている」
試合に出場できる選手は限られている。
しかしスタンドで応援する選手たちの存在があってこそチームは成り立つ。
「試合に出ている選手は、スタンドで応援している選手の分まで気持ちを切らしてはいけない」
スタンドからの声援を背負い、グラウンドの選手たちは一球一球に集中する。
また、身体づくりにも力を入れている。
マネージャーが作るおにぎりを補食として取り入れ、プロテインなども活用しながら体づくりを進めている。
高校野球の期間はわずか2年数か月。
その短い時間の中で、身体作りだけすれば良いというわけではなく、野球の技術面も同時に磨かなればならない。また将来に向けた勉強とのバランスも大切な時期である。
短い時間の中で選手たちが自身の進路を切り拓いていけるよう指導者たちは日々対話を大切にしている。
卒業後の進路も特徴的だ。大学進学が多いが、学生コーチとして野球に関わる道を選ぶ選手もいる。また警察官や消防士など、公務員として社会に貢献する道に進む選手も増えているという。
「人のために何ができるか」
上尾高校野球部が大切にしてきた教育が、社会で活躍する人材を育てているのかもしれない。
取材後記:野球だけではない「社会で通用する力」
上尾高校野球部は「人としての成長」「社会に出て活躍できる人間の育成」を大切にしているという印象を持った。
高校生の部活動で地方大会の1回戦からTVやインターネットで放送される部活は他にない。
高校野球は特に注目される競技である。
しかし上尾高校には勝敗のみならず、仲間を思いやり、周囲への感謝を忘れない選手たちの姿がある。
グラウンドでプレーする選手だけでなく、スタンドで声援を送る仲間、支えるマネージャー、指導者、そして地域の人々。多くの支えがあってチームは成り立っている。
「人のために何ができるか」
この言葉は、野球の枠を超えて社会へとつながっていく。
自分たちは強くない。そう認識していた世代が、努力を積み重ね21世紀枠候補校にまで成長した。
春季大会、そして夏の大会へ。
これからも上尾高校野球部の挑戦は続く。
その歩みは、きっと多くの高校野球ファンの心を動かすはずだ。
全国の上尾高校野球部ファンの期待を背負い1勝でも多く勝ち進んで欲しい。

